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 明けましておめでとうございます。
 旧年は個人的にも同人的にも迷走に迷走を重ねた一年で、大変お見苦しかったことと思います。ほんとすみません。
 今年もしょっぱい感じのサイトであることになんら変わりはございませんが、もう少し自律的に運営出来るよう頑張ろうと思いますので、よろしくお付き合いいただけると幸いです。

 年末から実家に帰ろうと思って帰ったのですが、兄の家族とかち合い、更にうちの両親がこないだブータンに旅行した時に現地でこさえてきた弟がホームステイしにきていたりしていたので、実家が人口爆発していて逗留出来ず、仕方なく逃避した先の湯河原で温泉三昧の年明けとなりました。
 ベランダを黒い影が走っていって、やけに丸いのでなんだーいやにでぶったねこだなあとか思っていたら猿だった。
 んで、温泉につかりながらもの書いたり年末総括したのブログに上げたりしよーとか目論んでたら、山奥過ぎてネット繋がんなかったりね_| ̄|○
 そんなわけで、あんまり観光もせずぐでぐでと単なる寝正月を過ごして帰ってきました。しかしさすがに海が近いと魚の美味さが格別でした。あと海を照らす月明かりとかきれいすぎ。星もたくさん見えたし。
 去年はいろいろあったので、ゆっくり出来たのはとてもよかった。どうせこれからもいろいろあるのさ。休める時には休まないとね。
 ともあれ、今年もいい一年でありますように。

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 今年の総括:1827とたまに横っ面を殴られた一年でした。あと、身の回りに紫のものが激増した。
 わたしはものすごくミーハーなわけです。

 NARUTOは去年、サスナルを諦めたって総括をしたんですが、今年は更に退化をして読み方がわからなくなってしまいました。どう言うことなんだ。
 読み方がわからないので、感想の書きようもなければことば自体すらない。とりあえず、わたしが思っていたナルトってナルトじゃなかったんだなぁといやって程思い知らされた一年でした。あと、サスケはいつまで迷走するんだろうね。
 んで、二月からはREBORN!と平行になりました。初期のうちはNARUTOに対する逃避じゃねえかとか思って、だとしたら嫌だなあと思っていたんだが、そんなことじゃないともうわかったので安心しています。わたし1827が好きなんよ。こないだも言ったけど数字表記じゃねえと恥ずかしくってのたうち回っちまうぐらい好きなんよ。
 んで、たまね。今年の更新の半分ぐらいはたまが原動力になっていた。その次がTHE BOOM。ほいでご存知サンボ。全く以てno music,no lifeというかno music,no writeだ。なんだかよくわかんないんだけど、わたしの中で雲雀さんのイメージはたまで、ツナのイメージがTHE BOOMなんだよね。本当によくわからん。

 他のジャンルを書くようになってまざまざと思い知らされたのは、ナルトってやつはわたしの心の中の奥底の、あんまり人様に見せるのは憚るなあってもんを引きずり出してくれるってことです。わたしは痛いのは嫌だし辛いのも好きじゃないし、だからなるたけやさしい話ばっかり書きたいと思っているわけなんだが、ほんとここ最近のNARUTOの更新物はごめんとしか言えないようなもんばっかりな訳です。我ながらえげつねえなあよくこんなもん書いたもんだ、と思うもんばっか。幸い、文章がへたくそなもので、思う程は伝わっていないみたいなんですが、書いている身としては、自分の、思いもしていないえげつない面を見せつけられるわけで結構辛いのね。でもそれでも書けちゃうときは書けちゃうんだけど。て言うか、書いてしまうんですけれども。
 んで、REBORN!は、自分の中の制御出来る部分でしか書いていないので、意外性もなければ刺激もなく、ひたすらわたしに対してやさしい話になっていたりする。先輩と後輩がバトル的な意味できゃっきゃうふふじゃれ合っていてくれればわたしは腹いっぱいなんです。後輩が迷惑がっているといい。先輩はそんなの一切無視すればいい。たまに恋すればいいしそれに無自覚でもいい。うっかり踏み込んでも踏み込まなくてもいいしそれなりに仲良ければそれでいい。雲雀さんとツナにはまだまだ夢を見ているのね。サスケとナルトはあいつらのシビアな現実を考えちゃうんだけど、雲雀さんとツナ、と言うか並盛のひとびとに関しては明るい明日を妄想出来て、それがまた楽しいわけです。うん、楽しいんだ。
 しかしサスナルで死ぬことばっかり考えていて、1827で生きていくことを考えるって言うのもなあ。もう少しいいバランスの取り方はなかったものか。
 1827って悲劇性があんまりないんだよね、本人同士がトラウマ持ちじゃないから、そう言う意味では割と普通なので、細かい機微はあるけどまだ楽。まだキャラ掴めてなくて書くの難しいけど、気持ちが全然楽。ナルトはね、わたし自身の思い込みですげえ単純化されてるしシンボリックだから書くのは楽なんだけど、その思い込みの結果のあまりのフリークスぶりが苦痛なんだ。サスケはほんと逃げたらいいと思う。ツナはでも、雲雀さんから逃げらんないといいなと思う。物理的にも精神的にも。
 ナルトは自分の傷にも他人の傷にも鈍感ですが、ツナは痛がりなのでそのあたり敏感なんだよね。ともすれば臆病なんだが、死に至る勇気はわたしはきらいだ。殺すぐらいなら自分が死ぬ方がマシなんだけど、自分以外の大事な誰かが死ぬぐらいなら殺す方がまだマシなんだよ。ツナの話。こないだの少年漫画考の補遺になるけど、ナルトには死と言う前提がないんだよね。引き換えられるべきリスクを抜かしている。
 さ、今年もまとまらないまんま来年へ持ち越すぞ。
 
 と言うわけで、去年掲げた出来たらいいことと、途中に増えたいろいろの結果及び過程。

☆08年のなつやすみからのしゅくだい:きりリク(感謝!!)+α
*九尾なのをいいことにナルトを匿うサスケの話
 →もう少しで書き切れそうなんだけど、リクからすると飛び道具的な上に非常なる今更感。本当に申し訳ありません。果たしてこれをリクですと言い張れるのだろうかと甚だ疑問である。
*三竦みつづき
 →まだです。すんません。
*無自覚いちゃパラ波の国
 →本当にこれ、難しいんだよね。全然書けない。
*夏が終わった後
 →構想のみ。しかしいろんな意味で今更感満点だ。
*サスケの怪獣のぬいぐるみとナルト
 →てのたま5で済扱い。いいインスピレーション頂きました。
*うちは兄弟で魔王パロ
 →まだ。
*墓守
 →雲雀さんでぽろぽろ書いているんだが(連作とかJunkの養父ねたとか)、テーマとして据えたもんは書いていないので未達成。
*死姦とかカニバリズム
 →まだシチュエーションがいまいちピンぼけなんだよなー。ていうか、果たして今、このテーマで書ききれるぐらいサスケとナルトと向き合う胆力がわたしに残されているのだろうかも疑問である。しかし誰が読みたいんだこんなん。いや、わたしとN氏以外にね。嫌がらせ以外のなにものでもない。
*啄木パロ
 →一応一個書いた。ナルトが最低で書いていて楽しかった。啄木って本当にだめ男だよねえ。

☆自分用課題(おぼえがき)
*あなたを好きでいたときもあるよ
 →サイト上ではサスケの誕生日に始めてサクラちゃんの誕生日で終えました。書き終わったら鼻から魂抜けるかなあと思っていたけどそんなことはなかったが、本にしたら魂抜けた。多分巻末自分同人まで書いて完結だったんだな、自分の中で。クオリティは度外視である。
*星を食べる
 →まさかの1827で昇華。これ掲げた頃は他ジャンル書くとは思っていなかったんだよね。書いてみたら狂気にはならなかったけど、あれはあれで良かったような気がしている。
*満月小唄
 →本にした。行間を思いっきり読んでもらおうと思ったらやり過ぎてわけわかんない本になっちゃったけどまあいい思い出である。
*ほとんど以上絶対未満のダブルパロ
 →本にした。もとむさん素敵な表紙をありがとう。うちは家がほのぼの書けてわたしは少し溜飲が下がった。
*Love Antique
 →本にした。わたしにしてはえろかった。んで、ナルトもサスケも最低で書いていて楽しかった。

☆以下、来年以降書いてみたい1827
*シュレーディンガー×銀河鉄道の夜
 →Junkに置いてある雲雀さんと骸の話と、銀河鉄道に乗っているツナの話をクロスオーバーで書いてみたい企画。海豚とりんどうと勾配と林檎と賛美歌と、ブルカニロ博士が書きたい。
*りんご追分(大学生×りんご農家)
 →今ちょっとずつ書いてる。寒村並盛のりんご農家沢田家の長男ツナと、地主の息子で上京して大学生やってる雲雀さんの話。あんまり明るくならない。骸がでばっている。
*金木犀を食べたい話
 →奈々さんの話。多分ツナ誕。
*やくざの妾腹×ナチュラルボーンキラー
 →これ設定ごねごね考えるのがめちゃくちゃ楽しくて今没頭してるやつ。本文は一文字も書いていない。
*もうひとつのかお
 →てるてるのもうひとつのかおで四話くらいの1827連作を考えているのだが考えているだけである。
*生きる
 →たにかわしゅんたろうの生きるで1827を書こうと思って書き始めた。主に拍手御礼文に使おうと思っているが、あんまり感謝に足るようなわかりやすさのないのとかもあるので扱いが適当になることは必死。
*満月ブギ
 →たまだよ! とにかくこのうたの世界観をどうにか再構築してみたいだけでまったくのノーアイデアである。

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 と言っても、わたしの読んだことのある少年漫画ってジャンプ系ばっかりかあんまりメジャーじゃないようなのばっかりな気がする。て言うかわたしも少年漫画の定義ってわからん。なのであんまり助言にもヒントにもならん気がします、と私信的な前置き。

参考文献:ダイの大冒険、ドラゴンボール、BLEACH、クロスボーンガンダム、クロスボーンガンダム鋼鉄の七人、グラップラー刃牙、ワンピース、REBORN!、ネウロ、PSYREN。

 とりあえず徒手空拳的に羅列。
 少年漫画の主人公とは:出発点が世界との隔絶或いは疎外感である。んで、規模を問わず悪との戦いを通して仲間を獲得、世界との隔絶・疎外感は薄れて世界の中心になっていく。たまに挫折もするよ。諦めてぜんぶ投げ出したくもなるよ。でもそんな時、支えてくれたりケツひっぱたいてくれたりする仲間がいるよ。仲間は主人公を信頼しているし頼もしく思うし頼るけど、根っ子の部分ではきちんと一個の、ただの人間として扱っていることがある。わたしはダイの大冒険が思っている以上に大好きみたい。て言うかわたし的にザッツ少年漫画ってダイ大みたい。
 主人公は最後に、必ず勝つ。それまでは負けてもいい。先述の通りくじけても諦めかけても最終的な勝利に繋がればいい。んで、最終決戦の場に於いて、仲間の助けは精神的なものが主で、物理的にはひとりで立ち向かって勝つ。己の生死は問わない。ただ勝つ。
 どうでもいいけど弥子は少年漫画の主人公だよね。女の子だけど、しっかり少年漫画の主人公をしている。素晴らしい。物理的な能力は関係ないけど、中身がきちんと成長している。そう、少年漫画はビルドゥングストーリーであるのですよ、力だけでなく、精神的な成長もなくてはならない。
 少年漫画って一騎打ちの美学があるよね。単なる様式美なのか力量の問題なのかはわからんが、ワンピースが今盛り上がっているのが混戦であるというのがとても興味深い。NARUTOで辛いなあと思うのは、一騎打ちで戦っている当事者二人以外が解説しているか棒立ちして見守っているかっていうところだ。異能力バトル系ならいくらでもサポートの仕様があると思うんだけど。どうでもいいけど雨宮さんが隙をついてシャイナの腕一本持ってったのはすげえと思った。それまでまったくかなわないでぼろ負けしていたのになあ。
 あ、忘れるところだった。主人公は仲間を大切にするし仲間に大切にされる。仲間が傷ついたら怒る。自己犠牲的精神に富む。だから、最終決戦の時に己の生死を問わずにいられるのだ。死ぬかも、という感覚はある。その上で、死んでも守ると言う選択をする。己の死、と言う価値観が、それ以上に選びとるものとしての勝利の価値を上げる。結果死ななくてもいいの。己の死と世界の存続を天秤にかけて、それを人間一個人の問題として、選びとると言うプロセスが必要なのだ。そうしないと勇気ではなく蛮勇になってしまう。己の死という、一個人にとっての最悪の結果を見据えた上での覚悟・決断でなければいけないのだ。
 わたし、目と顔と名前を失っても生き延びてテテニスのところに戻って来たトビアは、やっぱり少年漫画の主人公だと思うんだ。ベラ・ロナとして生きるセシリー・フェアチャイルドのためにシーブック・アノーがそれまでの名前と自分を捨ててキンケドゥ・ナウになったのも。本当にどうでもいいけどこの前甥のクリスマスプレゼント買いに行った時、X1フルクロスつい買っちまいそうになった。買えばよかったなあ。
 こんな感じで友情と勝利はクリアでしょうか。努力はなあ、修行するとかそう言うことなんですかね。最近省略されがちだよね。でも必ず先生とか師匠的なポジションのひとは出てくる。と言うか、すごい技を繰り出した時点で、あいつはあんなに強いのに更にそんな技を会得していたのか!的な驚きとともに提示されることが多いような気がする。大体日常描写の端っこで筋トレしてたりするよね。努力をストーリーとして飽きさせずに鶴ってものすごく大変だと思うんだ。継続は力なりの地味なメニューの繰り返しだもんなあ、普通に考えて。いや、バキみたいに人間大の蟷螂持って来られてイメージトレーニングで格闘して修行とかそんなん、量産しろと言う方が土台無理な話ですわ。

 ひとりで考えるとこんな感じ。んで、提示されていて上記でかすりもしなかったものについて以下。
 勝利と努力がある以上、主人公には成長が要求される。従って敵対者にはその成長に応じた相手が設定される。パワーインフレが発生することは必至である。強さに於いて明確なゴールラインは設定されておらず、とりあえず敵対者に勝つことでのみ示される。
 主人公は勝つことで敵対者を救済する。これ枚挙に暇ないよね。そいで敵対していたひとが、次のステージで仲間になっていることは本当に様式美だ。そこでもパワーインフレが起こるので、たまに初期の仲間が影薄くなる。ヤムチャ涙目。きちんと仲間が増えていくだけでそれぞれの見せ場・立ち位置をキープしているのもあるよね。お母ちゃんとよく話すけど、ウソップは本当にえらいと思う。あと、これは個人的な感想だけど、チャドとダーイシ頑張れ、超頑張れ。
 そう、仲間が増えていくんですよ、少年漫画って。最終的に世界を味方につけるわけですから。と言うか、世界の意志を代弁すると言う描かれ方が、わたしの読んだことのある少年漫画には多いような気がする。まあ世界にもいろいろあるんだが。主人公の出発点もそうなんだけど、世界から疎外されている敵対者に対して勝利することで、オレもそうだった、でも今は仲間がいるんだって方向で引き込むよね。それが救済なのである。滅多にひとは殺さない。余程の悪党でないと殺さない。余程の悪党は殺したと思っても生きている。イエス、フリーザさま!ピッコロさんは悟空親子に籠絡された感じだよね。クロコダインとかヒュンケルとかラーハルトとかヒムとかハドラーとか大好きなんだ。ところでむっくんとかヴァリアーはともかく、雲雀さんはこの辺りにいっしょに並べていいんだろうか。あと、ギリが死んじゃう時、わたし泣いた。

 で、こっからNARUTOを考えてみると、大筋では外れていないように思うんだ。細かいところですかね。精神的な成長がないとか、救済した相手が仲間ではなく信奉者になっちゃってケツを叩いてくれる仲間がいないとか、世界との親和性がまったく現れて来ないとか。
 ゴールラインがサスケとの対決で、つまりサスケの救済だとするのなら、サスケの救済がなにかを考えなければいけないんだよね。そこもよくわからない。んで、そこをナルトが思慮深く考えて慮って、あるいは天然で起こす行動で以て突き止めてくれるんだろうかってところにもわたしは懐疑的。何故だ。我愛羅と言う前例があるにも関わらずだ。あれかな、ペインと言う悪例が最近あったからかな。その割にはあれは印象にうすいんだが。何故だ。
 結局疑問で以て終わるのだった。どうにもならねえなあ。

 ところでナルトが世界から未だ疎外されているように見えるのは(或いは疎外されていると思い込みたがっていると思ってしまうのは)わたしの妄想なんでしょうか。教えて偉いひと!

 追記:て言うか肝心なこと書き忘れていたよ。
 ナルトは死の概念が希薄、と言うかあんまり理解している節がないのも問題だ。
 引き換えとしての己の死、と言うのがものすごい軽い、と言うか自分が死ぬってことわかってないんじゃねえかって思うことがある。ひとりで片を付けたがるあたりとかね。
 なのでこのままだと、来るべき最終決戦の時に、ナルトも他の主人公たちと同じように自分が死んでも事態を好転させようとするかも知れないけど、その場面に説得力があるかどうかがすごく心配。それでも、作中のひとびとはナルトを更なる英雄として扱うんだろうけどなー。
 共感性の低さも問題なんだろうか。少年漫画の主人公が、現実の少年たちにとって感情移入するための存在だとするならば、共感出来ないことは非常なる問題のはずなんだが、なんかNARUTOってこども人気高いらしいしなあ。こどもがこぞってナルトの格好したりしてるし、小学生がサスケ悪いやつとか言ってるのも見たことあるし。
 こうなってくると、わたし自身が少年漫画の読者として失格であるような気がして来るのだった。でも好きなんだけどなあ、俗に少年漫画と呼ばれる漫画。

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 イヴだと言うのになあ。

 年の瀬も押し迫ってきたし、なんか年末的に今年のまとめその1。
 さしあたって楽しいことを考えたいのでREBORN!のこと。まとめとか言っちゃったけど漫然と思うこと垂れ流してまとまりようがないこと請け合いだよ!

 とは言えどこから書いたものか。一年弱くらい書いてみて、割と軽い感じのばっかり書いていたのでぼちぼち薄暗い感じのを書きたいと思っているわけです。いいんだいどうせ薄暗く始まったって1827の場合ぜったいハッピーエンドになるんだあ。
 最近むっくんも気になるんだ。自己犠牲精神で十年水ん中いるあたりとか、なんだかんだ言ってきちんとリーダーやっているあたりとか。でもむっくんは受けだと思う。愛されて救われる方。
 雲雀さんはね、救いなんか必要としてないんだよね。健全な所以だ。好きだからどうこうってのがあんまりなさそうなんだよなあ、わたしのイメージの中だと。そんで、なくしてから後悔すんの。後悔するけど、なんかまあしょうがないかなとか思っちまいそう。なんでか淡白そうなんだよなあ。なにかを熱望とかしなさそう。
 雲雀さんのなにに萌えるかって、世界に対してものすごい全幅の信頼寄せてるってところなんだよね。全能感もあるんだろうけど、なんか世界に裏切られるなんてこと思いもしてないんだよねあのひと。んで、裏切られても結構普通に受け止めるようなイメージ。もしかすると裏切られたってことに気付かないのかも知らんが。
 なんでこんなイメージ群なのかと言うと,好意の示し方が先生と十年後のツナ(勘定に入れちまっていいのか微妙だが)だけなので、サンプリングの量がまったく足りていないのが一番の原因な気がする。
 むっくんは逆に世界にしょっぱなから裏切られて,裏切られ続けて結局自力でなにもかもなんとかするしかないと思っているので、わかりやすく救済が必要なんだと思うのね。んで、雲雀さんは同様にそんなの必要ない。
 わたしはサスナル書くのに、サスケとナルトの救済点を求めていたので、そう言う観点ならばわたしは多分ムクツナの方が向いてんじゃねえかなって思う。でも実際はまっちまったのは1827なんだよね。数字じゃないと恥ずかしくていやんなっちゃうぐらい1827なんだよなあ。なんなんだ。
 ツナは自分のにも他人のにも痛みに敏感なんだよね。ナルトと対照的である。いいやあいつも十四巻ぐらいのときはそんなでもない描写があったんだがなあ。救済云々と言う話になってくると、その敏感さと言うのは非常なるキーポイントなんだが、1827に於いては救済ってあんまり争点にならないんだよね。どちらかと言えば、甘ったれる沢田くんを蹴飛ばす雲雀くんみたいな感じだ。んで、沢田くんは自分の甘ったれさ加減を自覚している節があるので、甘やかされないのは辛いけどまあその方がいっかあとか思っちまう。Mか。でもたまに不意打ちにやさしくされたりしてめろめろしたらいいとか思う。ていうか、薄々お気づきの通り、まだ全然雲雀さんもツナもむっくんも先生も、どんなひとたちなのかきちんと掴めていないのだった。

 とりあえず、一年弱書いてみてわかったのは、わたしは憎の混じらない愛が書きてえんだなあってことだ。
 あと、書きなぐっている習作にもぽつぽつ拍手とかもらえてすごく嬉しい。頑張ろって思った。

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 わたしは笑い飯が大好きなわけですが、今回の結果はまあしょうがないと思うわけです。M-1の話だよ。
 一本目のねたはほんと絶品だったんだけどねえ。とり人だよ。
 あのひとらは本当に、二本目のねたが揃わねえんだよなあ。でも、優勝したのはパンクブーブーだけど、笑い飯のとりじんにすっかり持っていかれているのがちょっと可哀想だった。でもしょうがねえよなあ、あの出来はもう、しょうがない。

 今年もまた譜めくりにいってきたわけです。今回は久々に危ない橋だった。
 関西合唱界に於けるビッグネームばかりとご一緒したり楽屋でお弁当食べたり特等席でプロのピアノ聞けたりしてとっても役得なんだ。ちょうラグジュアリーだぜ。しかし関西合唱界ってすっげ狭くてマニアックなカテゴリだなあ。
 OBOGからしたら垂涎ものの指揮者陣×ピアニスト×選曲だったりするんだが、今の現役の子たちにはあんまりぴんとこないらしい。贅沢な世代だなあ。おいらも歌いてーよ。
 しかしあのテキストでああ言う曲書かれてんのに、ああいう顔でああいう歌い方しか出来んと言うのも、かなしい話だ。感性って大事ね。

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性別:
女性
趣味:
ものかき・妄想・うたうたい
自己紹介:
・硝子細工の夢でもいいので、与えて欲しいものです。
・サスケスキー且つヒバリスト。
・東京生まれ湘南育ち京都在住。
・海がない生活なんて無理とか思ってたけどそんなでもなかった。
・盆地でなんて生きられないとか思ってたけどそんなでもなかった。
・No Music,No life.No Mac,No life.No サンボマスター,No life.
・妄想で動いています。妄想で働いています。
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