もうなんかいろいろとだめな具合でお送りしております。
カテゴリ通り、今現在、原作を読んでの印象を踏まえた上での私的に過ぎるサスナル考です。
でも言うほどサスナルについででなかったり。しかもまた言い過ぎてるところもあったり_| ̄|○
でも言うほどサスナルについででなかったり。しかもまた言い過ぎてるところもあったり_| ̄|○
ことの発端はなにかと言えば、おそろしい病気に罹っているってことなのです。その名もハッピーエンドが書けない病です。
なんでー_| ̄|○
今平行して六つぐらい話書きかけてて、どいつもこいつも山場にさしかかってはいるんだけど、良くも悪くもない終わり方かあんまり幸せな感じでない終わり方になりそうな流れがどうして出来上がっているのだろう。
確かに、最近更新した単発の奴って大概サスナル的にどうなんだかって言うようなもんばっかりだけどもやな。
_| ̄|○
……そのうちまとめよう。とりあえずでも答えが出たら対処のしようもあるかも知れんしなあ。流石に夏に向けて、すかっとした話のひとつも書きたい。ていうか、サスケさんの誕生月だしね_| ̄|○
しかしおデイさんはかわいいな。お近づきになりたくはないが、一線引いたこちら側から見ると非常に愛すべきひとだ。
彼もまた、認められるために戦っているんだなー。NARUTOと言う漫画は、個の存在意義を根源のテーマに持ってるもんな。でも最近それを突き詰めすぎてて、感情移入ってかたちで入り込める子がいないんだよな。も少しみんな、生きるためには協調性とかも必要だぜ。ひとに自分を認めさせるためには、力押しだけでなくちょいとあざとい頭も必要だぜ。なんて、だめ大人の発言ですけども。まあ、そういう認識の前提としては、性分的にわたくしがメアリー・スー的な作品の愛し方が出来ないって言う要因もあるんですが。
しかし、デイサソ(のようなもの)を書いててちょっと困るのは、書くにあたって個人的に、ナルトとおデイさんが被るってことだ。言動とか情動とか。それが単なる力不足なのか、無意識にそういう見方をしているだけなのかはまだ分析中。一番困るのは、おデイの台詞打ってるときにだってばよって付きそうになることです_| ̄|○
おデイさんの雛形を、私はナルトに求めているんだろうか。いや、違うな、拠り所が自己か他者かって違いがあるだけで、我の通し方が同一に思えるんだ。まあ厳密に言えば、ナルトは他者(=サスケ)に執着する自己が根拠なので、拠り所も同一と言えなくはない。
だが、おデイさんほど潔くおいらの芸術の素晴らしさよって言えちゃうひとがいると、サスケさんを自分のエゴイズムの隠れ蓑にしてるナルトはちょいと分が悪いわな。わたくしの心証の問題に於いてだけですけども。
ナルトは、なんだかんだ言って、サスケさんを目の前にすると(幻術も含む)足がすくんでしまうからな。それだけサスケがナルトに与えたトラウマが酷いってことなんだけれども。しかし、サスケを取り戻すんだ、ってサスケの都合を無視した言動と行動を周囲を巻き込んでする(ところで、大蛇丸が死んだ時点で、木ノ葉が暁と全面衝突するに踏み切る理由って実はまだ打ち出されてないんだよな。ええんか、五代目)エゴと、それでもサスケの前に立つとまたあの日(=終末の谷)の再現になるかも知れないと言う恐怖やら不安やらなんやらでいつもの機動力と言うか行動力が出なくなる弱気とを、そのうち御大は絶対にすり合わせてくれんとあかんと思う。希望なんて生易しいものでなく、これはもう要求だな。だってそれがないと、少なくとも私はナルトと言うものを理解出来ないんだぜ。
今のあの子は軽く精神分裂してるようにすら見えます。それこそ、人道に反した道を邁進してるサスケさんの方がまともに見えるぐらいに。
…うわ、全然サスナルについて語れてねえ_| ̄|○ しかもこれ、アンチかってぐらいの書き様だな。ひどい話だ。だけどここまで考えないと書けないって側面もあったりするのでした。うん、なら出すなって話だな。でも出しちゃう。ブログに書くねたがないってのはかなしいことだなあ。
なんでー_| ̄|○
今平行して六つぐらい話書きかけてて、どいつもこいつも山場にさしかかってはいるんだけど、良くも悪くもない終わり方かあんまり幸せな感じでない終わり方になりそうな流れがどうして出来上がっているのだろう。
確かに、最近更新した単発の奴って大概サスナル的にどうなんだかって言うようなもんばっかりだけどもやな。
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……そのうちまとめよう。とりあえずでも答えが出たら対処のしようもあるかも知れんしなあ。流石に夏に向けて、すかっとした話のひとつも書きたい。ていうか、サスケさんの誕生月だしね_| ̄|○
しかしおデイさんはかわいいな。お近づきになりたくはないが、一線引いたこちら側から見ると非常に愛すべきひとだ。
彼もまた、認められるために戦っているんだなー。NARUTOと言う漫画は、個の存在意義を根源のテーマに持ってるもんな。でも最近それを突き詰めすぎてて、感情移入ってかたちで入り込める子がいないんだよな。も少しみんな、生きるためには協調性とかも必要だぜ。ひとに自分を認めさせるためには、力押しだけでなくちょいとあざとい頭も必要だぜ。なんて、だめ大人の発言ですけども。まあ、そういう認識の前提としては、性分的にわたくしがメアリー・スー的な作品の愛し方が出来ないって言う要因もあるんですが。
しかし、デイサソ(のようなもの)を書いててちょっと困るのは、書くにあたって個人的に、ナルトとおデイさんが被るってことだ。言動とか情動とか。それが単なる力不足なのか、無意識にそういう見方をしているだけなのかはまだ分析中。一番困るのは、おデイの台詞打ってるときにだってばよって付きそうになることです_| ̄|○
おデイさんの雛形を、私はナルトに求めているんだろうか。いや、違うな、拠り所が自己か他者かって違いがあるだけで、我の通し方が同一に思えるんだ。まあ厳密に言えば、ナルトは他者(=サスケ)に執着する自己が根拠なので、拠り所も同一と言えなくはない。
だが、おデイさんほど潔くおいらの芸術の素晴らしさよって言えちゃうひとがいると、サスケさんを自分のエゴイズムの隠れ蓑にしてるナルトはちょいと分が悪いわな。わたくしの心証の問題に於いてだけですけども。
ナルトは、なんだかんだ言って、サスケさんを目の前にすると(幻術も含む)足がすくんでしまうからな。それだけサスケがナルトに与えたトラウマが酷いってことなんだけれども。しかし、サスケを取り戻すんだ、ってサスケの都合を無視した言動と行動を周囲を巻き込んでする(ところで、大蛇丸が死んだ時点で、木ノ葉が暁と全面衝突するに踏み切る理由って実はまだ打ち出されてないんだよな。ええんか、五代目)エゴと、それでもサスケの前に立つとまたあの日(=終末の谷)の再現になるかも知れないと言う恐怖やら不安やらなんやらでいつもの機動力と言うか行動力が出なくなる弱気とを、そのうち御大は絶対にすり合わせてくれんとあかんと思う。希望なんて生易しいものでなく、これはもう要求だな。だってそれがないと、少なくとも私はナルトと言うものを理解出来ないんだぜ。
今のあの子は軽く精神分裂してるようにすら見えます。それこそ、人道に反した道を邁進してるサスケさんの方がまともに見えるぐらいに。
…うわ、全然サスナルについて語れてねえ_| ̄|○ しかもこれ、アンチかってぐらいの書き様だな。ひどい話だ。だけどここまで考えないと書けないって側面もあったりするのでした。うん、なら出すなって話だな。でも出しちゃう。ブログに書くねたがないってのはかなしいことだなあ。
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プロフィール
HN:
蘭
HP:
性別:
女性
趣味:
ものかき・妄想・うたうたい
自己紹介:
・硝子細工の夢でもいいので、与えて欲しいものです。
・サスケスキー且つヒバリスト。
・東京生まれ湘南育ち京都在住。
・海がない生活なんて無理とか思ってたけどそんなでもなかった。
・盆地でなんて生きられないとか思ってたけどそんなでもなかった。
・No Music,No life.No Mac,No life.No サンボマスター,No life.
・妄想で動いています。妄想で働いています。
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